「東大って、どうやって入るんだろう?」
そう思ったことはありませんか?僕も昔はそう思っていました。
世の中には何万人もの東大生、東大卒業生がいて、彼らの数だけ受験物語なるものがあるのでしょう。
その一つのサンプルとして、僕の経験はかなりレアかもしれません。
ということで、「こんなパターンも可能性としてはある」ということを紹介したいと思います。
私の当時の概要
- 地方公立(偏差値73らしい)
- 高校入学して間もなく2年間ほど軽度の不登校に(1年の時は学校に行かなさ過ぎて出席日数が3教科で足りなかった)
- 夏休みの宿題を読書感想文しかやらなかったはず(加えて1カ月くらい遅れて出した)
- 成績は一時期、学年順位344/354まで落ちた
- 2年の3月頃(受験の約1年前)から受験勉強開始
- 塾に通わず、自分で買った参考書は赤本だけ
- しかも赤本は1~2年分くらいしかやっていない
こうやってパッと見ると、ふざけてますね。
結構いろんな出来事があったので、どれだけ端折るかがすごく難しいのですが、できるだけ面白味を残しつつ短めに書こうと思います。(と言いつつそれなりに長くなってしまいました。)
※以下は当時の話であり、かつ、完全なる個人視点で書かれたものです。現在の学校環境などとは大きく違う可能性もあるということをご了承ください。
目次
1年。砕かれた自信。
前提として、中学時代の私はこんな感じでした。
- 生徒会長、サッカー部部長などポジションによくついていた
- 宿題は嫌いだったので、家ではほとんどしなかった
- 成績は学年でいつもトップ3くらいだったはず
- 優等生として、先生からの信頼が厚かった(と思われる)
宿題が嫌いでやってこないこともたまにある、ということを除けば、多分絵にかいたような優等生だったと思われます。
そんな抜群の内申点を引っ提げて、推薦入学で県内トップ高校の理数科に入学。
輝かしい高校生活が始まる!‥
と思ったのも束の間、学校に徐々に行けなくなりました。
今思えば精神的に青すぎる部分も多分にあったなぁとは思いつつも、当時私の中にはあった高校のイメージというのは、テレビドラマなどの物語の中にあるそれでした。中学と比較して大幅に増えた自由度の中で、人間関係での葛藤やらなんやらありながら、日々色んなできごとがあって、毎日学校に行くのが楽しいような、そんなカラフルな日々。
実際、受験勉強熱が当時や現在ほど加熱する前の世代であろう、自分の親や、当時の担任の先生たちからは、「高校は楽しいところだ」とよく聞かされていたように思います。その世代にとっての高校というのは、そんな場所だったのかもしれません。
しかし、そんな淡い期待は、やはり現実とは大きく異なっていました。
ただ知識を伝達するために淡々と進む授業、膨大な量の宿題、勉強はできても人間的に未熟に見える生徒たちとそれを看過する教師たち。
高校は、もっと毎日が豊かで、楽しくて、人間としても成長ができる。そんな場所だと思っていましたが、勉強できるマシーンを量産しているような、そんな場所に見えました。全てが無機質に動いているかのよう。
そんな雰囲気への違和感や嫌悪感、そしてもともと宿題が嫌いだったということも相まって、環境への無言の抵抗の意味もきっとあったのでしょう、授業以外で勉強をほぼすることのない私の日常が始まりました。
当然、授業にはついていけなくなりました。
中学までは家で全く勉強しなくても授業内容は99.9%理解することができましたが、高校ではそうはいかなかった。
先生が何を言っているのか分からない。
他の人が簡単に分かる問題を、解説されてもよく分からない。
ほんの2~3ヶ月ほど前から一転、いつの間にか自分は「勉強できない人」になっていました。
また、高校に入るまでは多少自信のあったサッカーでも身の程を知らされ、「あぁ、自分は本当は、勉強も運動も出来ない、大したことないやつなんだな」と思わずにはいられませんでした。
そうして、今まで密かな誇りであった「優秀である」という自分のアイデンティティは一挙に崩壊しました。
そのうち、母親が作ってくれた弁当に一口も手を付けられなくなりました。
日に日にやせ細り、3ヶ月で8kgくらいは痩せたのではないでしょうか。身長は当時167cmくらいあったはずですが、体重は約50㎏まで落ちました。
ちょうどその頃、中学1年から抱いていた「医者になりたい」という夢も、とある出来事をきっかけに自分の中で色を失ってしまい、いよいよ、勉強する意味が完全に分からなくなりました。
「ここでこうやって、違和感や嫌悪感を抱えながら学校に通い続ける事に、何の意味があるのだろう?勉強する理由を失った自分が、これ以上ここに存在する理由があるのだろうか?」
学校、辞めてもいいかもなぁ。そんなことを少しずつ考え始めました。
と同時に、鬱っぽかった自分の心の支えになっていた「音楽」という領域を、自分が生きるフィールドにしたいと思い始めてもいました。
その想いは膨らみ、ある日、終に両親に告げることになりました。
「退学したい」と。
その後、親父とその友人たちといった大人と話をしたり、音楽の先生の言葉に気付きを得たりなどなんやかんやあって(長くなるので端折ります)、考え方を変えることにしました。
「勉強をするためではなく、人生経験を積むために学校に通い続けることにしよう」
勉強はやる意味が分からないし、やる価値なんてないように思う。でも、「高校」という環境には価値がある様に思える。
例え音楽の道で生きていくにしても、ここで「高校生活」という経験を積まずに発する自分の言葉や音は、どこか何かが足りなくなるだろう。
だから、勉強はやらずとも様々なことを経験するために、学校に通いつづけることにしよう、というのが暫定的に僕が出した答えでした。
勉強をアウトオブ眼中した後、心はかなり楽になりましたが、成績はガンガン落ちていきました。
勉強がどうでもよくなってしまったので、
朝起きて気分が乗らなかったら学校には行かない。
学校に向かったと思っても、どこか遠くに行きたくなったので学校を通り過ぎて河原で昼寝をする。
学校の前まで来ていたにも関わらず、模試を当日無断欠席する。
そんな問題児になり果てました。
と、ちょっとアウトローっぽく書いてますが、「行かない」日だけではなく、心が思うように動かなくて「行けない」日も当然多々ありました。実際には、境界線も曖昧にそれらが入り混じってたように思います。苦しみを隠すように、好き勝手振舞っていたのかもしれません。
入った直後には20番くらいだった学年順位は、1年の冬に344/354まで落ちました。
その時の国語のテストは特に酷く、解ける問題はちゃんと解いたにもかかわらず、200点満点中16点。下から4番目。校内偏差値は24.8という驚愕の数字でした(下には下がいるのもまた驚きですが)。
そんなこんなで高校1年生の1年間が終わりました。
休みすぎて3教科で出席日数が足りず、レポートを3枚書いて進級させてもらいました。
レポートを書くということが、特別行きたいわけでもない学校に縋りつくような行為に思えて馬鹿馬鹿しく情けなく、「やっぱり学校を辞めようか」なんて想いとその反対で激しく揺れながら、悶々とレポート課題をこなしましたことを覚えています。
(なお、この年の担任の先生には本当にご迷惑をおかけしたなぁと思っています。)
2年。ちょっとだけマシにはなった。
なんとか進級して、2年に。
1年の最も酷い頃に比べれば、大分精神的には持ち直したものの、まだまだ不安定でした。
そんな中一つの変化が、2年から始まった「物理」の授業でした。
先生が非常に良かったこと、そして多分自分にも素養があったのでしょう。
物理に関しては、授業にかなり集中して参加すれば、それだけで平均より上の点をとることができると判明し出しました。
これが、結構な救いだったのだと今では思っています。
アイデンティティを打ち砕かれ、「勉強できないダメな奴だ」と烙印を押されたような気持ちにずっとなっていましたが、「やっぱり、やればできるのかも」という自信めいた何かが、小さく自分の中に灯りました。
「勉強なんてどうでもいい」と割り切ったつもりでいながらも、やはり勉強ができるかできないかというのは、そんな自分にとっても大きな意味を持っていたようです。
相変わらず学校に行かない&行けないような日は結構ありましたが、少しずついい状態に向かっているという感覚。
とはいえ、まだ授業以外で勉強する気など起こらず、2年の間も自習時間はほぼずっと0行進だったと思います。
2年の秋頃、母親が、当時の担任の先生に「今からちゃんと勉強すれば、そこそこの大学には行けると思うんですがねぇ‥」と言われるほど、まぁ成績はダメな感じでした。
そして、訪れた決定的な転機。
あれは2年の3月頃だったと思うのですが、合格したばかりの卒業生が在校生に対して話す機会があり、「どうやって勉強して難関大学に受かったか」というよう内容の公演が繰り広げられていたと記憶しています。
「私、勉強できるんです。すごいでしょ」みたいな顔した人がそれっぽいことを語る場が当時とても嫌いだった私は、ひとり群れから外れた獣のように、講堂の後ろの方で集団から離れた席にぽつんと座っていました。
「勉強、勉強、勉強。くだらねぇなぁ。」なんて感想を半分では抱きながら、一方で違う感情ももう半分で芽生えつつありました。
「自分は、卒業した後どうするんやろう?」
約1年後に差し迫った高校時代の終わりが、ぞっとするかのように突如として自覚されたと同時に、様々な思いが脳内を巡りました。
このまま順当に行くと、自分は就職することになるのか?
それも悪くないが、では就職するとしたら何の仕事に着くのだろう?
・・・。
仕事を選択できるほど、自分は社会を知らない。
社会をもっと知るために、モラトリアムが欲しい。
・・・。
モラトリアムが欲しいなら、、大学に行くのが一番良い選択かもしれない。
そうして、はじめて自分の心から「大学に行きたい」と思うようになり、受験勉強に取り組み始めることにしました。
しかし、大学には行きたい気持ちが出てきたものの、どこの大学がいいかは分からないし、どこの学部がいいかなんてもっと分からない。
とはいえ、勉強量に関して大きなディスアドバンテージを抱えている自分が、いま進路をしっかり吟味することに時間を使うのはもったいない。
よく分からないが、とりあえず一番上を目指しておけば融通が利きそうだ。
だから、東大を目指そう。
最初はそんな理由でした。
今まで全く勉強もせず、まともに学校にも来てなかった奴が、いきなり「東大に行く」と言い出す。
両親も、友人も、「こいつ何言っとるん?」という感じでした。
ともあれ、そんな感じで、私の受験勉強はこの時にやっと始まったのです。
3年。そして。
まず迎えたのは春休み。
壊滅的だった数学から遅れを取り戻していこうということで、1年の頃の問題集を使って復習し始める(復習ですらないかもしれない)ことにしました。
ところが、まぁ、分からない部分が多い。
当たり前ですね、サボっていたんですから。
教室で数学のプリントと格闘していると、ひょっと現れた文系の知人が「お前こんなんも分からんが」と笑って颯爽と去っていく、ということもありましたが、それくらい、できなかった。
一方で、自分には恵まれていた部分もありました。それは、周りに勉強ができる友人が沢山いたということ。
もはや自分の成績が悪いのは周知の事実であり、「分からないことを曝けだすなんて格好悪い」的なプライドはとうにへし折れていたので、開き直ったかのように「分からん。教えてくれ!」と友人に事あるごとに質問をしていました。
中学までの自分ではおそらくそういうことはできなかったと思うので、これは挫折した故に獲得できた美徳かもしれません。
友人たちは、嫌な顔二つせず(一つくらいはしたかもしれない)教えてくれたり一緒に考えたりしてくれました。それが非常に有難かった。
そんな風に友人や先生に質問しまくりながら、自分を客観的に分析し、大きすぎるハンデを返すべく「どこから伸ばすべきか?どんな風に時間を使うべきか?」といった戦略をもとに、自分で勉強を重ねていきました。
また、限られた時間で遅れを挽回するためには学習効率を上げざるを得ないので、試行錯誤を繰り返しました。自分で記憶方法を開発したりもしました。
そんな中で特に気を遣ったのが、「どうやってできるだけモチベーションを保つか」ということでした。もともとモチベーションがガタ落ちしたことが原因で軽度の不登校になったともいえるので、かなり気を遣ってやっと人並みに近づく、という程度ではありましたが。
勉強は嫌いではないが、やっぱり”受験勉強”はどこか肌に合わない感じもある。その中で、「やるべき」という感情をではなく、「やりたい」という感情でどう自分を動かしていくか。
「勉強を”やらなきゃ”」と思った瞬間に、一回自分を停止させ、「なぜ、いま”やらなきゃ”と思ったんだろう?俺は”やりたい”はずでは?・・」と自分を点検することも何度もありました。
モチベーションが低下すると、「なぜ自分は東大に行きたいのか?」と改めて問い直すことで自分を持ち直そうとすることも幾度となくありましたが、その度に、少しずつ東大に行きたい気持ちが強くなっていったような気がします。
いつの間にか、東大は紛れもない第一志望になっていました。
そんな想いに呼応するかのように、幸運にも成績がぐぐっと上がってきました。確か3年の夏ごろには、早稲田や慶應は合格するラインまで到達していたような気がします。
しかし、成績が上がってきたとはいえ、東大はやはり遠い存在でした。
ずっと、模試の判定は最低ランク(E/E or D/D)。
自分の成長に手応えを感じ、「1年浪人すれば行ける‥!」となぜか思い込み始めてはいたものの、現役ではやっぱり無理だろうなぁという感覚を持っていました。
そんなこんなで、それなりの頻度で来る精神的不調とやりとりしながら(夏休みは、勉強する日:完全休養日=1:2 or 2:1という酷い有様だったと思う)、少しずつ受験の日が近づいてきました。
本番前の最後の模試。やっと(C/D)をとることができ、合格ラインはまだ遠いものの少しだけ希望が見えてきた感じがありました。(それを受けて、母と姉がお祝いに”Cのダンス”を踊ってくれました笑 よく分からないところはありますが、それだけ息子or弟を気にかけてくれていたのでしょう。)
迎えたセンター試験。
これまでの自己最高を60点以上上回る789点。
思いがけない高得点に高揚したのを覚えています。
そして2次試験へ。
前日、試験会場の下見で初めて「東大」を生で見ました。その厳かな雰囲気に、一種の感銘さえ覚えました。
夜にはホテル近くのちょっとした広場で、「ここまできたんだなぁ。明日やなぁ。」と感慨にふけってもみました。一年でとりあえずここまでは来た。どうなるか分からないが、明日明後日で、全てが決まる。
翌朝、少し緊張感を抱きながらも東大に向かう中、人の多さに驚きました。受験生だけでなく、塾講師などの応援する人の姿も多い。
どこぞの塾の、「東大はすぐそこだ!」というノボリには笑いました。物理的にもプロセス的にも、確かにあと少しで「東大」でした。
そんな風に試験前後でも色んなことがありましたが、試験中にも印象的だったことが少なくとも二つありました。
一つ目は、数学の時間に世界がぐるぐるしたこと。
緊張なのか体調不良なのかは不明ですが、足元がふわっと浮いたかのように感じたかと思うと、重力の方向が分からなくなるような浮遊感と眩暈ともとれるような感覚がずっと続き、なんだか一人教室の中で回転する異次元にいるかのような感覚で数学の問題をひたすら解いたことを鮮明に覚えています。
「やばい。こんな感覚は前例が無い。体調崩したかも。」と焦りながらも、精神がそれ以上どっかにいかないようにそれなりに必死だった記憶があります。
二つ目は、現代文の時。
「正解っぽい」答えと、「自分が書きたい」答えが別々に思いついたため、悩みました。暫く悩んだ後、「受験って何のためにあるんだっけ?」と考え、「人を選抜するためにある」という事実に行き当たると、だったら、「自分をしっかり表現することが正義で、その上で落ちるならば納得がいく」という今思っても少し男前な指針に沿って解答を選別したことが印象に残っています。
そんな風に二次試験が終わってからは、やる気が一気になくなりました。
一応東大後期にも出願していたので勉強をしなければいけない身分だったのですが、どうも身が入らなかったですね。
「受かる受からないは、50:50くらいの確率かなー」
「でもこんなんで受かったら東大も大したことないよなぁ」
と、今思えば自己防衛心が屈折したかのような想いを抱きながら、結果発表の日を待っていました。
迎えた結果発表当日。
どうせ届くのだから、ネットではなくて封筒で合格を知ることにしよう、となぜか心に決めつつもそわそわしていた折に、父から電話がありました。
「”A40622”って番号やったよね?・・なんか合格者番号にあるんやけど・・笑」
嬉しさか信じられなさか、可笑しいものを見たかのように少し笑いながら発せられた父の言葉を受け、すぐさま私もウェブサイトを確認してみました。
・・・。
・・・。
あった。まじか。
笑いました。その後、ちょっとだけ叫びました。
あれだけ力の籠った「やった」という言葉は、あれ以来発していないような気がします。
それくらい、感情が動いた一瞬でした。
どこか斜に構えながらも、やっぱり触れたかった一瞬でした。
かくして、3年間の高校生活と1年間にわたる受験勉強は、幕を下ろしました。
あとがき
改めて久しぶりに高校3年間をざっと振返ってみて、なかなかいい生き方してたんだなぁとか思ってしまいました笑。今はここまで心が動くことがないので、相当にしんどかったはずですが、当時の自分を少し羨ましくも思います。
ここには書ききれていない数多くのエピソードや葛藤などがあるので、ロングverもそのうちどこかで書きあげれたらなぁと思っています。
そして、書いてみて心に到来したのは、やはり、感謝。
いろんな人の想いや協力のおかげで、これはダメかも的な状態から真っ当に大学進学できたんだなぁと思うと、感謝せずにはいられない。
今、ここに自分があるのは、本当に色んな人のおかげなんだと、改めて感じる機会になりました。
なお、これはストーリーを紹介したものでしたが、より実用的な「テクニック編」もそのうち書こうかとも思っています。
私の経験の共有が、悩める若者にとって何か意義のあるものになることを願って、この文を閉じます。
私が当時意識していたことなどをまとめた記事がやっとできました。
↓こちらは、「基本的なマインドセット編」です。
「テクニック編」についても、後日公開予定です。
投稿者プロフィール

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東京大学卒。
高校時代軽度の不登校⇒1年で東京大学理科Ⅰ類に合格。
現在は、自身の経験と蓄積した科学的知見を基に「勉強がもっと楽しく効率的になる方法」などを中高生に教えている。
不定期なブログの更新情報は多分twitter(始めたばっか)に上げるので、よければフォローください↓
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