ブログを書く意味

 ブログ。その響きが嫌いだ。
 どこか浮付いたような、軽薄な響きが、発音せずとも脳内に反響する。

 言葉そのものの音韻の所為ではなく、ブログという単語が世の中に立ち上がり出した時のイメージのせいだろう。今こうして足をつっこんでみてはいるが、心臓に寒気がうっすらと走るような、心地の悪さが胸に閊えている。

 語源は、web+logで「ウェブ上の記録」ということらしい。なんとなく真っ当っぽい語源でほっとしたが、しかしそれを知ったところで胸部の蟠りは癒えはしない。

 現代は、情報に溢れている。
 マスメディアの権威は幾分失墜し、個人が発信力を行使できる時代になった。

 恩恵はあった。しかし、弊害も生じている。
 いろいろあるが、人々の承認欲求が加速し、それ故に自分の胸の内に秘めておけばよかった事柄を殊更に曝け出し、他者の承認を自己肯定と自身の快楽へと変換しがちなそんな雰囲気が、私的にとても好みではない。

 とはいえ、気持ちは分かる。例えば美しい景色を見た時に、その感動を誰かに伝えたいという想い。それは人間の自然であるとも思う。ついでに、他者の承認なしに自己肯定感は生まれないとも思う。
 しかし、「場」にその類の情報が溢れかえっているからか、もはやSNS上のそのような行為は陳腐に映るし、言ってしまえば下品にも見える。

 と、筆を勝手に走らせたが、こうして自身がやっている行為もその一部だと言われてしまえば確かにその通りであるかもしれないし、それ故に気持ち悪くあるのだ。

 ただ、何故これを書いているかを、弁明を試みつつ表現すると、自身の経験や思考を「残し」「伝える」ことに価値があると思えたからだ。

 決して承認が欲しい訳ではない(勿論、もらえたら嬉しくなってしまうだろうけど)。移ろいゆく自分と思考を何かしらの形に留め、未来の自分の糧とするためであり、それをアクセス可能な形にすることで社会に何かしらの刺激を与えるためだ。

 様々な環境のお陰で、これまで自分は色々と特異な経験をしてきた。
 故に思考することや思想も、大多数のそれとは幾分違うように思う。

 多様な価値観に触れることがよしとされる、多様性が尊ばれる社会に僕らは生きている。そんな文脈の中、例えば少し外れた?僕の経験や思考が、一瞥してくれた人に何かをもたらしたなら幸いである。

 僕は自分のために書く。それが、誰かにとって意味あることになれば。

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