軽い不登校だった私が、塾に行かずに一年の勉強で東大に合格した方法【基本編】

私は、高校入学3か月後より軽度の不登校になりました。
そして受験のちょうど1年前に、ようやく大学に行くことを決め、一年間だけ受験勉強にとりくみました

結果、運よく東京大学理科Ⅰ類に現役で合格

私は、どうやって一年間の勉強で東大に受かったのか?
そんな、リアルドラゴン桜みたいなことが起こり得るのか?

今回は、当時私が大切にしていたことなどを紹介していきたいと思います。

なお本稿は、「基本的な考え方のスタンス」を紹介するものなので、具体的なテクニックが知りたい人には不適かもしれません。

しかし、テクニックはテクニックでしかないので、実はそんな基本的なスタンスこそが最も大事だと私的には思います。

(※具体的な勉強方法などのテクニックや、おすすめの参考書などは後編(準備中)に掲載する予定です。)

それなりに多い分量になってしまいましたが笑、
よければ無理せず休み休み読んでいってください。

前提①:当時の私の状況

情報をより正確に伝えるため、前提の共有から行っていこうと思います。

高校1~2年の私はこんな感じでした。

  • 授業以外の勉強時間は長期休暇含めほぼゼロ
  • 塾には通っていない(小中学時代に通ったことすらない)
  • その他通信教育の教材も使っていない(使ったことすらない)
  • 学校は行きたい時にだけ行っていた
  • 宿題や課題をやらなさ過ぎて先生に諦められていた
  • 一応石川県内有数の進学校に通ってはいた
  • ミュージシャンになりたかったので、勉強はかなりどうでもよかった

よくある、「なんちゃって勉強してませんでした」ではなく、割と本気で勉強してなかった部類だと思います。

どん底まで落ちた成績

ということで、当たり前のように私の成績は下降し続け、高1の冬にどん底を極めました。

校内順位344。偏差値31.1。国語については351/354で下から4番目、偏差値は24.8です。
ちなみにこれは全教科200点満点なので、国語は実質8点です。やばいですね。英語も地味にヤバイ(実質9.5点)というか全部酷い

原付免許の試験に不覚にも落ちた時並みのどん底な結果です。

しかし、勉強のやり方は知っていた

とはいえ、私は中学までは結構勉強が得意だったこともあり、「いい勉強のやり方」と「根本的な基礎知識」は基本的に身に着いていたと思います。

それこそ「ドラゴン桜(シーズン1)」にも類似の描写があったかと思いますが、高校の勉強をしっかりやっていくためには、「中学の範囲に含まれる大前提の基礎知識と作法の習得」が非常に大事だったりします。

1年間で私の成績が急上昇していく背景には、そんな「中学時代に築いた頑強な基盤」の影響が実は結構あったのだと思っています。

また、もともと中学時代もガリ勉タイプではなかった私は、「少ない労力で知識と技術を身に着ける(点をとる)」やり方を知っていました。

すなわち、「勉強そのものはダメダメだが、勉強するために必要な能力はある程度有している」。そんな状態だったと思います。

3年になってからも、塾に通わず。

3年になってもからも、以下のような感じで勉強していました。

  • 塾には通わなかった
  • その他通信教育や家庭教師など利用も皆無
  • 基本的に授業+学校で配布された教材のみ使用

友人や学校の先生には幾度となく質問を行ったので、「独学で受かりました!」なんて口が裂けても言えませんが、基本的に外部的なドーピングなしで勉強していました。

前提②:「”私が”東大に合格した方法」に過ぎない

当たり前ですが、受験生それぞれにはそれぞれ個別の状況があります。環境も違えば、素養も違う。現状どんな知識がどのように入っているのかも違う。

ということで、「私が以下に示す方法をやれば大丈夫!」ということを言うつもりは毛頭ありません。
人によって最適解は違うのですから。

しかし、幾らか参考になる部分もあると思っていますので、そんなスタンスで見てくれるとよいです。

はい。
という感じで前提の話がやっと終わったので、いよいよ本題に入っていきます。

私の勉強方法:基本的な考え方

スキルやテクニックも勿論大事ですが、私が一番大事だと思うのは、勉強に向かうスタンスです。
ということで、当時私がどんなふうに勉強と関わっていたか、という大枠を以下に紹介したいと思います。

絶え間なく緻密な自己分析

まず第一に、自己分析を、結構ちゃんとしていたと思います。

私は塾に通っておらず、学校の先生にも教科の質問はすれど全面的に頼ることはしたくなかったので、「どうやって一年で東大に合格できる力をつけるか」ということを独自にしっかり考えねばなりませんでした。しかも、2年の3月時点で1年の範囲すらボロボロ、というような状況からどうやって合格していくか?を考えねばならない。

おそらくあまり前例がなく、他の人がやっていることや、普通の東大合格者の経験をトレースするだけでは足りない訳です。
また上述したように、個人の環境や素養や既有知識も千差万別なので、他者の話は「参考」になりますが「最適」ではないことが多いです。

そこで大事なことは、「自分にとっての最適(だと思われる)解」を如何に見出していくか。

そのために、例えば以下のような問いが使えるでしょう。(あくまで一例です)

自分は今、

・どこに立っているのか?(どれだけの学力なのか?)

・どんな人間なのか?(得意&不得意は何か?テンションが上がること&下がることは何か?スタミナやストレス耐性はどれだけか?など)

・どこを目指したいのか?(最終的にどんな学力を身に着けたいのか?)

・どんなふうに目指したいのか?(期間は?犠牲にしたくないものは?など)

最初から完璧な計画や方法を見つけられることはほぼないでしょうし、また、自分という人間もどんどん成長していく中で、当初有効だった方法がもはや身の丈に合わなくなることも出てくるでしょう。
なので、大事なことは「絶え間なく、緻密に、自己分析をする」こと

当たり前と言えば当たり前ですが、以外とこのあたりができてない高校生が多いように思います。

自己分析をし、現状を把握し、行動計画を考え実行し、それを評価し改善策を考える。そしてそれをまた行動に移し、、。という感じで、PDCA的なサイクルをガンガン回していく

正直言って、当時の私は自己分析をしようと思ってしていたわけではないですが、自己を分析し客観視しながら生きるのが自分の自然になっていたので、これが受験全体の取り組みに多大なる影響を与えたと思っています。

目的を見失わなず、戦略的に。

何のために勉強をしているのか?

色々あるでしょうが簡略化のため、例えば目的を「大学に合格」することだとしましょう。(決してそれが全てではありません。

だとすれば、例えば明日の英単語の小テストでどれだけ点をとっても無意味だと言えます。
それが、本番の点数にしっかり繋がっているのであればOKですが、例えば、「徹夜して小テストは満点だったけど、1週間後にその単語をすっかり忘れた」ということが起こった場合、目的に照らして考えれば、小テストに向けての勉強は全く意味をなさないことになります(推薦などで内申点が必要でなければ)。

「目の前の点数をとること」と「本番で点数がとれる力をつけること」は似て大きく非なるものです。

「自分にとっての最適(だと思われる)解」 を見出していくために、そもそもの前提(目的)は何か、ということをしっかり念頭に置いておく必要があります。そしてのその目的に即して、戦略を考え、実行していく。

東大受験においては、定期テストの100点より、本番の1点の方が明らかに重要です。

知識は階段を登るようなもの。無駄に焦らない。

私は、知識を獲得する行為は、階段を作り登っていくような行為だと思っています。
一段、一段、しっかり作って登っていく必要がある。

作用反作用的に、一段上に足を上げようとする時には、今立っている段にしっかり力をかけなければいけない。この時、今立っている場所が脆いと、足場が崩れて上に上がることはできません。

上に上がっていくためには、現状自分が経っている場所が堅固である必要があるのです。

知識も同じように、新しい知識をしっかり獲得するためにはそのベースとなる知識を盤石にしておく必要があります。

とりあえず知識を早く獲得しようと、壊れやすい階段を拙速に作って登っていったところで、どこかでかならず行き詰ります。

そうではなく、基礎から一段一段固めていく。少なくとも私は、そんな意識でやっていました。

堅固な階段を築き着実に登っていけば、やがて高みに届くと思います。

量より質

「質or量」論争がありますが、私は圧倒的に「質」派閥でした。

なぜかというと、

  • そもそも勉強していなかったので、「勉強体力」がなかった(長時間勉強できなかった)
  • 時間が圧倒的に足りないので、質を意識する必要があった
  • 質が高い「いい勉強」は結構楽しいので、勝手に量も増える
  • 時間を稼ぐために勉強しようとすると、義務感が生まれ、つまらなくなる

などなど、上げようと思えば多分数十個ほど理由を出せる気がしますが、とにかく私は「質」派です。

ちなみに、私は3年時においても、夏休みはその3分の1から3分の2を完全休養日に充てる、20時以降家に帰ってからはあまり勉強しない、という貧弱な勉強時間の持ち主でしたが、それでも東大に合格できたのは、「質が高い勉強」をしていたからだと思います。

だらだら勉強するなら、やらない

だらだらと集中力無く勉強している人を見かけることがありますが、私は完全反対派です。

やるなら、やる。やらないなら、やらない。

自分の集中力が切れたな、と思ったら、コンビニに散歩がてらエネルギー補給に行ったり、近くの公園を散歩したりしてみる。それでもう一度机に向かってダメならば、それはもう休んでもいいというサインだと解釈していました。

その線引きが正しいかはさておき、私は四六時中机に向かっていられる人間ではなく、休息が必要な怠惰な人間だったので、休むべきだと自分が感じた時は、しっかり休んでいしました。

腑に落とすまでこだわる

腑に落とす。深い理解。
私はこれをとても大切にしていました。

「なんとなく分かった」で理解した気分になっている人がそこそこの割合でいますが、それでは使える知識や深い知識はきっと身に着きません。

人に説明できるレベル、自分が真に納得できるレベルまで理解度が到達するまで、「理解しようとするのを諦めない」スタンスが大切だと思います。

少しでも腑に落ちないところがあると、先生にガンガン質問しに行ってました。特に理系教科では質問しない授業がないのでは(印象論)、というくらい授業中あるいは授業後に質問していたと思います。

深い理解は、最初は時間がかかるかもしれませんが、そこに達すれば楽しいし、しっかり頭に入るものです。そして深く理解したそれは、応用が利くし、別の知識とも繋がりやすくなる、とも思います。

また、知識と知識は連鎖するので、深い理解が深い理解を生む、という流れがあると私は思っています。

安易に暗記に逃げない

これは理系と文系で違うかもしれませんが、私は特に理系教科は、できるだけ単純な暗記をしないでやっていこう、というスタンスでいました。

とりわけ数学や物理は、本質的な事柄さえ深く理解していれば、公式や解法を覚えなくてもどうにかなることが少なくないように見えます。

「本質を抑える+暗記」ならば何も問題はありませんが、「本質を抑えずに暗記」をするというのは、大局的には非効率的な行為だと私には思えます。

不幸にも、理系教科においても定期テストや簡単な模試ならば「暗記」のみで結構点がとれてしまうと思います。しかし、前述したように「本番で取れる力」が大事なので、暗記によって目先の点数が稼げることに安堵し本質の理解が妨げられるのであれば、一度いっそ暗記という行為を放棄してすらいいとも思います。

とはいえ、最終的に暗記も大事になってくるので、「暗記」をどこでどう使うかというセンスを身に着けて、「本質の理解」と「暗記」を使い分けて欲しいと思います。

疑問は誰かにぶつけてみる

一人でひたすら考えることもとても大事ですが、時にやはり一人では「腑に落とせない」事柄に出会うこともあります。

しかし幸運なことに、皆さんの周りにはおそらく先生や勉強のできる同級生がいると思うので、是非その人たちに自分の疑問をぶつけてみてください。

例え相手が答えを持っていなくても、自分が疑問を発そうとする中で、改めて「問い(不明点)」が整理されますし、言語によって「外化」することで、自分ですんなり答えが見つかったりもします(「あれ、なんか話しとるうちに自分で分かったわ!」的な)。

また、すぐに答えが見つからなくても、特に同級生とあぁでもないこうでもないとディスカッションをするのは楽しいものですし、そうやって得た知見は印象に残ります。

その楽しさと学びの価値を共に感じてくれる友人がいるならば、是非積極的にディスカッションしてみるのもいいと思います。

とにかく授業に集中する

塾に通わず、参考書も全く買わなかったので、私にとって学校の授業は最大の情報源でした。

なので、如何に「授業時間における学びの質」を上げていくか、ということが本当に重要でした。

また言ってみれば、一日の勉強時間の大半を授業時間が占める訳なので、ここを疎かにすること=「一日の勉強時間をかなり無駄にする」ことになり得ます。

予習は、それを必要とする授業でない限りやらない

ということで、まず大事なのは「授業を楽しむこと」です。楽しさは、学習の質を上げるからです。

そのために私が意識していたことは、「予習が必要ない授業は予習しない」ということでした。
「どうせ授業でやるのに、なぜ同じ内容をあらかじめ頭に入れておく必要があるのか?」というのが昔から謎でした。

勿論、問題の解説から始める授業など、中には予習をしなければ授業の効果が低減するものもあります。

しかし一部を除いて、まったく予習せずに授業に挑む方が真新しい知識を楽しむことができるし、また予習していないがゆえに、頭をフル回転させどうにか理解してやろうと集中して取り組めるように思うのです。

少なくとも私はそうでした。

毎回、質問に行く勢いで

集中する、そして頭をフル回転させる、というのが授業を受ける際のポイントかと思いますが、その意識は「毎回質問する勢いで授業を受ける」という言葉に集約できる気がします。

質問をするには、論理の矛盾や情報の欠落に気付く、あるいは応用に思いを馳せ「この場合はどうなるんだろう?」と考えることが必要です。省エネモードで受身で授業に参加していたら、なかなか質問はできないのではないでしょうか。

なお勿論、素直に「ここが分からなくて、、」という単純な質問でもいいのですが、今まで習ったこととの関連などに関する、「体系的な理解をつくるための深い質問」ができれば、結構最高だと思います。

また、質問することでなぜかその後の授業への集中度がぐっと増すことが私は多かったので、「質問を探しながら授業を受ける→集中力UP」「実際に質問する→さらに集中力UP」というW集中力ブーストの恩恵を受けていたと感じています。

知識と知識とつなげる

深い質問をするため、あるいは腑に落とすために大事なことは、「知識と知識をつなげる」ことです。

その授業で得られた情報を独立に脳内に格納しても、あまり使える知識にはならないでしょう。大事なことは、「今日習っているこの内容って、今まで習ったこと、あるいは日常や社会とどう繋がっているんだろう?」と考えることです。

時には、つまらない授業もあるでしょう。つまらない授業をする教師もいるでしょう。
でもそんな時間にあって、身体はある程度拘束されていたとしても、脳内は自由です。

一見詰まらなさそうに見える情報(知識)を、自分で能動的に脳内で転がしてみると、新たな発見や面白味が生まれることもあります。

今目の前にある授業の効用を最大化するために、自分の脳内を能動的にフル稼働してみれば、意外と授業が面白くなることもありますし、授業内容の理解も格段に深まります
「授業を受ける意味が見出せない→内職する」というのはよく聞く話ですが、完全に授業とは別の内容を内職するのは最後の禁じ手(多分私はほとんどやったことがない)として、とりあえず「今の授業の効用を最大化する」という意識で私は脳みそを活用していました。

眠くなったら保健室へ

これは若干アウトローな行為なので真似していはいけない部類の何かかと思いますが、私は眠気を感じたら保健室に行って寝させてもらってました。

「先生ー、寝に来ました。」
「あら、また来たの。じゃあ、次の授業前に起こすね。」
「お願いしますー。」

こんな感じで、慣れたもんでした。
(軽度の不登校というルートを通った故に保健室の先生と仲良くなったのが最大の要因でしょう)

上述したように私はだらだら勉強するのは嫌いで、「今はもう無理だ」と思ったら、さっさと休んでしまうタイプでした。

授業も同様で、塾に通ってない私にとって一回の授業を欠席することはそれなりの損失ではありましたが、以下のようにも考えられます。

「集中度30%で授業を3回受ける(0.3×3=0.9)くらいなら、1回休んで残りの2回を集中度100%で受けた方(0+1.0×2=2.0)がずっといい

保健室に行くかどうかはさておき、休息と集中状態をどうコントロールしていくかに意識を割き、しっかり休む時は休むことで、最終的によりよい成果を出せるのではと私的には思います。

プラスの感情で勉強に向かう

私は自分が嫌だと思ったことはなかなかできない性格だということもあり(ある意味でそれで学校に行けなくなった)、勉強に対する感情を如何にいい感じに保っていくかということが、自分にとってはおそらく最も重要な課題でした。

そして同時に、最も最適解が分からなかった領域でもあります。

しかし一つ言えるのは、プラスの感情で勉強に向かうのが、自分にとっては正義である、ということ。

巷には、「勉強はつまらないものなので、我慢してやれ」みたいなことを言う人もいますが、私は断固反対です。勉強は、楽しくてなんぼだと思っています。それが受験勉強であったとしても。

また、そういう「楽しい」という感情が勉強の効果を高めるという研究結果も存在します。

以下の行為は、特に今の私から見て最適なやり方では決してありませんが、一応当時の方法を書いておこうと思います。

勉強を義務だと思わない

特に意識していたのは、「勉強しなきゃいけない」と思わないようにする、ということです。

理想は、「勉強したい」と思うことであり、如何にそんな心理状態をキープするか、ということに結構気を使っていました。

時折やはり、「勉強しなきゃいけない」と思うこともありますが、そう思っている自分に気付く度、自分の内面を点検していました。

理由を再確認する

勉強がずっと楽しければいいのですが、時にはやはり楽しくない時期もあります。その時に大事になってくるのが、当たり前ですが、楽しさ以外の理由です。

私の場合は、「東大に行きたい」と思う理由。

モチベーションが下がる度、「自分はなぜ東大に行きたいのか?」ということを結構考えました。

そうする度に、「面白いやつに会いたい」「きっと成長できるはず」「行けないかもしれないけど、本気を出さないのももったいない」「異性にモテるかも」「こんな状態から東大受かったおもろいやん」というような、大きい理由から小さい理由まで、どんどん「東大に行く理由」が増えていきました。

1個新しい理由が見つかると私の場合は結構やる気が出たので、1個理由を付け足しては勉強に励む→やる気がなくなった時にはまた理由を探す→・・・。という一種の循環ができていたように思います。

やりたくない時にはやらない

と、色んな手を尽くしたとして、やはり人間どうしてもやりたくない時はあると思います。

そんな時は思いっきり休んでいました。その日は1㎜も勉強しない。

上記の保健室作戦と基本的に同じ考え方で、私には一定の休息が必要だったのだと思います。

言うて「ドラゴン桜」は参考になった

ちょっと前にドラゴン桜2的なものがテレビでやっていたようですが、私の時は、「ドラゴン桜1」の方の時代でした。

漫画を見る限り、2はちょっと自分的には微妙だなぁと思いつつも、1の方はそれなりに参考にさせてもらいました

数学の回答用紙を2分する方法や、ちょっとしたメンタルの持ち方、教科のごとの考え方など。

そこに書いてある全てを肯定する訳ではありませんし、特に「行く意味なんてどうでもいい。何も考えずにひたすら勉強して東大に入ればそれでいい」みたいなあのスタンスが私はとても嫌いだったので、取捨選択はかなりしたと思いますが。

とはいえやはり、「私が一年で東大に合格できた」一つの理由が「ドラゴン桜」であったことは、確かなことだと思います。

東大に一年で合格するためには、基本が本当に大事。

以上、思いのほか長くなりましたが、当時の私の基本的な考え方を紹介しました。

当たり前のことが多かったかもしれませんが、その「当たり前」をどれだけのクオリティで実現できるかというのが実は最大のポイントなのかもしれません。

究極、教科書の内容さえ”完璧”に入っていれば、東大に合格することができると思います。
しかし重要なのは、その「基本的な内容」を「完璧にする」ということです。

東大で問われる学力、そこに向かうまでのスタンス、どちらも「基本」が肝要です。

重要なのは、その「基本」を、どう能動的に極めていくか、ということだと私は思います。

今ならもっとうまくやれる

ちなみに上記の色々は「当時していたこと」であり、それで結果的に一年で東大に合格はしましたが、その取り組みは今の私から見れば決して完全ではありません。

学習科学や睡眠科学などの様々な知識と、勉強についての経験をさらに得た現在からみれば、「もっとうまくやれるはず」というのが正直な感想ではあります。(それについては、また機会があれば紹介します)

しかし、そんなに外れてもいないと思うので、是非取捨選択してもらい、活用できそうなところはしてもらえればと思います。

なお、現在毎月3名無料で学習相談にも応じている(オンライン可)ので、興味がある人は是非そんな機会も活用してくれれば私としても嬉しいです(下記参照)。

では、具体的なテクニックなどは後編で(準備中)!

投稿者プロフィール

尾張由輝也
尾張由輝也
東京大学卒。
高校時代軽度の不登校⇒1年で東京大学理科Ⅰ類に合格。

現在は、自身の経験と蓄積した科学的知見を基に「勉強がもっと楽しく効率的になる方法」などを中高生に教えている。

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初めてこんなに考えることが楽しいと思えた気がします。

学習相談というより、人生に役立つような時間でした!笑

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自生塾代表:尾張由輝也

金沢泉丘高校、東京大学卒
キャリアコンサルタント(国家資格)

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